社長コラム

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起業から株式会社に至るまでの軌跡

第4話 壁と器

独立して3ヶ月、売上が全く上がらない状態で私はかなり落ち込んでいました。
私は内心、「どこかに自分が心酔してしまえるほど仕事のできる奴がいないか」、あるいは「自分に何か強烈に インパクトを与えてくれる会社はないか」、独立というよりもある意味、再就職しようかという感じで毎日を過ごしていました。
そんな時、父の知り合いの会社の社長様から「工場を建て直してシステムも作り直したいから、息子さんにお願いできるかな?」というお話を頂きました。


この方からのお話はシステム開発、ハードウェア、ネットワークの全てのお仕事を私にお 任せしたいということでした。
ただその時の私には社員もいなければパートナー会社もありません。
私は自分ができる範囲のことでお仕事を頂き、1ヶ月ほどで作業は終了しました。
私が頂いたお仕事は規模自体は小さかったのですが、正直言って不安でいっぱいでした。
この会社には既にシステムを開発された業者の方がいて、その会社の方と共同作業でお仕事をさせて頂くことになっていました。
これはすべての業務で共同でという意味で、もちろん「開発も一緒に」とお声をかけて頂いていました。


私はハウスメイド(当時流行っていた自作機)のパソコンの導入とネットワークの配線作業をさせて頂き、システム開発は全てその会社にお任せすることにしました。
私は開発には関わらずハード業者という位置付けでこのお仕事に関わらせて頂きました。
もちろん売上は上がりうれしいのだが、何かスッキリしないものがありました。
このお仕事以来、友人や知り合いから時々「システム開発」のお話を頂くようになったのですが、私が仕事を受けることはありませんでした。
開発のお仕事の話が出る度に私は「弊社ではその開発はできません、ハードは導入できますが・・・」と無意識のうちに答えていました。
当然、ショップを構えず自宅で仕事をしている私にパソコン本体の売り上げが継続して入ってくるはずもありませんでした。


何故か?何故私は開発案件をお受けしなかったのか?答えは単純でした。
一人で仕事をする ようになり、誰の助けもない状態で「他の会社と対等な立場」でお仕事をするのが、「腕一本」で、「自分の技術」で勝負するのが怖かったのです。
戦う前から怖くなっていたのです。
自分に自信が無かったのだと思います。
「戦う勇気」がなかったのだと思います。
こんな私に仕事の注文がくる訳もなく、「独立する前の私」や「今の私」を知っている方は信じられないかもしれませんが暗い無口な日々を過ごしていました。
そんな私を大きく変える「一瞬の出来事」が起きたのは独立して数ヶ月経ったある日、偶々実家に戻ってきていた兄と話をしている時でした。


兄: 「仕事はどうや?」
私: 「全然パソコンが売れへん、あかんわ」
兄: 「お前、いつからパソコンショップするようになったんや?」
私: 「えっ?」
兄: 「お前はプログラムとかそんなんを作る仕事をするんと違うんか?
俺には詳しいことは解らんけど、 パソコンも売るしプログラムも作ったりするんやろ?」
私: 「プログラムっていうか、システム開発は僕だけでは無理なんや」
兄: 「なんで?」
私: 「一人では作れないし、できないんや」
兄: 「そしたらお前はパソコン作る以外に何ができるんや?」
私: 「・・・」
兄: 「自分のできる範囲のことしかやらないなら、自分の器って大きくならへんし、
会社も大きならんやろ。
できないならどうやったらできるようになるか考えたらいいやろ。なんで考えられへんねや。
できない、できないで逃げるんじゃなくて、何でもできるって言え!」



この会話は本当に普通の兄弟の会話の中での兄から弟への叱咤激励でした。
でもこの会話がこの後の私を大きく変え、そして今の私に影響を与え続けているのは事実です。
私はいつしか自分の器をガチガチに固め、楽な方に流れようとしていたような気がします。
なんとも矛盾しているのですが、自分は一人で稼いでいかなければならず生活していくには仕事が必要なのに、勝手に自分の器の大きさを決めて仕事を取らないようにして、また自分自身を成長しないようにしてしまっていたのです。
これを読んで頂いているみなさんはどうですか?私の言っている意味が伝わってくれるといいのですが・・・(表現力が乏しいのが腹立たしいです)。


自分の「できないこと」、自分の「知らないこと」、自分の「理解できないこと」、人は二つの選択をしているのではないでしょうか。
そのままでいるのか、「できるようにする」、「知る(調べる)」、「理解できるようになる」、みなさんはどちらを選択してますか? 人は「できないこと」、「知らないこと」、「理解できないこと」があればストレスを感じるのでは?でもそれを「できるようにする」、「知る」、「理解できるようになる」には努力が必要です。
当然、楽でないことも多々あります。
「人の器」を大きくする、自分を薄っぺらい自分から中身の詰まった大きな自分にするには、結構キツイですよね。
常に「チャレンジ精神」が必要になるのですから。
でも大袈裟かもしれませんが人生はかなり充実するような気がしますよ、きっと。
人が生きていく中で何か行き詰まった時に、「壁」という言葉を使うと思いますが、人の器が大きくなるのは「壁」を乗り越えたとき、「壁」を叩き壊したときではないでしょうか?その時、ストレスは解消されるのでは?


この「壁」って普通は見えないですよね。
でも本当は自分だけには見えているんですよね。
見ないようにしているだけなんですよね。
逃げずに真正面から「壁」に対峙することは、とても「勇気」がいります。
そう私は自分が失敗するのがいやだったのです。
当然、クライアントにご迷惑をかけるのは問題です。
でも失敗を恐れていては何もできません。
無謀な挑戦も時には必要かもしれません。
私はつまらない体裁を気にして失敗を恐れていたのです。
人としてのプライドは必要ですが、自分を押さえ込んでしまうようなくだらないプライドなら捨ててしまおう、兄との会話の中でそう思いました。
実際はその他の会話もあってそういう考え方に至ったのですが、この日兄と会話して思ったその「瞬間」が、私にとって本当の意味での「独立の日」であり、ある意味、自分自身が物心ついてから思い悩んでいたことがふっきれたようなそんな「フリーになった瞬間」だったような気がします。
それは私が仕事上フリーになったという意味ではなく、不思議な考え方かもしれませんが私自身が今までの「園田有希生」からフリーになったのだと感じた瞬間かもしれません。
なんとも言えない「精神的な解放感」を味わいました。
人が変わるのって、それほど難しいことではないような気がします。
心の中になんか「スイッチ」があって、それを「パチンッ」と入れるだけのような気がします。
なんか違う方向のお話になってしまいましたが、今後もこのような内面的なお話もみなさんの参考になるなら書かせて頂こうと思っています。


今回、登場した私の兄ですが空海(弘法大師)で有名な高野山(真言宗の総本山)のお坊様です。
中学校を卒業してご縁があって御山に上がり、出家しました。
家出ではありません。
家出をひっくり返すと出家。
別に意味はありませんが、ふとこの文章を書いていて思ったので・・・。
自分の兄がお坊様になるなんて夢にも思いませんでした。
人の人生は解らないものです。
彼は今も高野山で修行中です。


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