社長コラム

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起業から株式会社に至るまでの軌跡

第7話 証

本当に数日間があっという間に過ぎ、数日前の出来事が何ヶ月も前の出来事に感じました。
この頃、私はクライアント先への商品の納品のために車が必要となってきていたので中古でダイハツのアトレーという車を購入しました。
インタークーラー付のターボ車で、25万円でした。
その時の私にとって25万円はかなり勇気の要る出費だったのですが、仕事の範囲が広くなりつつあるのとパソコンの本体やディスプレイ等の納品のためどうしても必要だったので思い切って購入することにしたのです。
もちろん駐車場も借りました。
この車は私にとっては非常に貴重な「パートナー」でした。
どんな高級車よりもその当時の私には最高の車だったのです。
今でもこの車を街で見かけると懐かしくて当時のことを思い出すときがあります。
そんな日々を送ってあの電話から数日後、クライアント先から自宅兼事務所に戻ってくると留守番電話にメッセージが残っていました。
内容は「マイクロソフトの****です。先日の件でお電話をさせて頂きました。メッセージを聞かれましたらお電話を頂けますでしょうか」。
このメッセージを聞き終え、私はドキドキしながらマイクロソフト社に電話をかけました。
この時には既に****様の直通番号をお聞きしていたので、なんの苦労も無くお電話をかけることができました。


マイクロソフト社: はい****です 。
私: メッセージを聞かせて頂きました。
マイクロソフト社:先日のお話を社内で検討させて頂きました。
弊社から様々な商品や広告で利用するロゴ等のデータの入ったCDROMを
郵送させて頂きますので、一度サンプルを作っていただけますか?
私:はい!ありがとうございます。



嘘みたいな本当の話です。
「電話だけであのマイクロソフト社と・・・」。
別に取引をする訳でもなかったのですが、私は夢心地でした。
そしてデータが届いてからは、素材のガラスの厚さや大きさ、デザインの等の打ち合わせで毎日が慌しく過ぎていきました。
そしてなんとか私のイメージしていたマウスパッドが周りの協力者の方々のご好意により完成しました。
このマウスパッドは私一人では到底作ることはできませんでした。
周りの方々も親身になって色々と手助けをしてくれたり、アドバイスをしてくれたからこそ作りきることが出来たのです。
素材や加工を協力してくれた会社の社長様には金銭的にも非常に協力して頂き、加工賃はほとんどを負担して頂きました。
またデザインをしてくれたデザイナーの方はお金を受け取ってくれませんでした。
何度か私が請求をして欲しいと頼んでも「何年か先、君の会社が大きくなって君が活躍してくれればそれでいいよ。それまで預けておくよ」と。
私は自宅に帰って完成したマウスパッドを見ながら、感謝の気持ちでいっぱいでした。
翌朝、私はマイクロソフト社にお電話をさせて頂き、完成したマウスパッドを東京へ持って行く日程を決めさせて頂きました。


プレゼンの当日、私はガラスのマウスパッドを割れないように包装してカバンに詰め込み新幹線に乗り込みました。
東京都渋谷区笹塚。
私はマイクロソフト社のあるビルの前に立ってそのビルを見上げていました。
なんとも言えない緊張感というか高揚した気持ちでビルに入り、待ち合わせのフロア-へと向かいました。
エレベータを下りると広々とした受け付けカウンターがあり、受付の方に会社名と私の名前、そして****様とアポイントを取らせて頂いていることを伝えました。
私は小さな会議室に案内され、数分後、若い青年が一人会議室に入って来ました。
「はじめまして、****です」。
私は名刺を取り出し、「ブレーンウェーブの園田です」と****様に名刺を渡すと「変わった名刺ですね。デザイナーの方ですか?」と質問されました。
実は私は独立した時に非常に変わった名刺を作っていました。
なんと1枚250円もする名刺でした。
良いのか悪いのか、経費の無駄遣いかもしれませんが話題性と捨てられない名刺を作ろうと思ったので、変わった名刺を持ち歩いていました。
名刺交換の後、いよいよガラスのマウスパッドのお披露目となり、テーブルの上に何パターンかのデザインのガラスのマウスパッドを取り出し****様にお渡しすると、何度か持ち替えテーブルにマウスパッドを置くと「いいですね。綺麗です、でっ、1枚当りのコストは?」。
私は用意して来た価格表を取り出しお見せすると「何千枚作ってもこの価格になるのでは弊社では難しいかもしれません。ただ記念品や贈答品としてはお願いできるかもしれませんね」との返答でした。
私は必死で今後の展開や実は特許を出願中である旨を伝えました。
まだデザインの違う物を何パターンかお持ちしていますと言ってマウスパッドを包装紙から出そうとしたのですが、もはや興味を示していただけませんでした。


今でもこのマウスパッドが売れるかどうかは解りませんが、その当時はパソコン業界が賑やかになってきて全ての商品の価格破壊が始まっていたので、価格的には時代に逆行しているこのマウスパッドにあまりいい反応を示してくれませんでした。
また私はこの時、パソコンも周辺機器もこれからはデザインが重視される時代になるはずだということを力説し、このマウスパッドとセットでガラスのスケルトンのパソコンも作りたいということも伝えていたのですが、これもコスト的には採算が合わない代物だという反応で、お話になりませんでした。
結局、私は作ってきたマウスパッドのサンプルをお渡しして、代わりにマイクロソフト社がその当時、量販店で販売していたマウスパッドを1枚頂きました。
その場では結局、いいお返事は頂けず「もし何かあればご連絡させて頂きます」との返答を頂き、私のプレゼンテーションは終了しました。
ただ最後に私はカバンの中から特に私の気に入ったデザインのガラスのマウスパッドを取り出し、「もし可能ならばこの1枚はビルゲイツ氏にお渡しください」と言って持ってきた最後の1枚をお渡ししました。
届くことはないと思いつつもなんだか意地のような感じでそう言ったのを覚えています。
無茶苦茶です。
大阪に向かう新幹線の中で私は頂いたマイクロソフト社のウィンドウズのロゴマークがなびくマウスパッドを見つめていました。
東京に向かう時は重かったカバンも帰りはあまりにも軽く、寂しい気持ちで帰路に着いたのを今でもはっきり覚えています。


大阪に戻って来た私は協力してくださった方々に結果報告とお礼を兼ねて伺うことにさせて頂きました。
素材や加工その他でご協力して頂いた会社の社長様からは「仕事にはならなかったとしても、最後まで物を作りきったことは必ずどこかで役に立つよ、諦めずに最後までやった結果なら満足できるでしょう。まだまだこれからだよ」。
またデザインを担当して下さったデザイナーの方は「いつかそのマウスパッドの価値が上がる時が来るよ」と言ってくださいました。
本当に今でもみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。
これから先も私はこのガラスのマウスパッドを大事に大事にしていきたいと思います。
色んな気持ちを忘れないためにも。


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