社長コラム

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起業から株式会社に至るまでの軌跡

第16話 園田有希生

私は自宅で意識を無くし父と母が病院に運んでくれたのでした。
私が寝ていた布団は私の体から出た汗で水浸しで、まるでプールから上がってそのまま寝たかのような状態だったそうです。

病院に運ばれたときには非常に危険な状態で、先生は「ご本人さん次第です」と両親に告げたそうです。
6時間ほど真っ暗な闇の中に私はいました。
この日はたまたま土曜日で父も母も家にいて、二人は台所で話をしていたそうです。
その時に母が「ドン」という音がしたと言って私の寝ていた部屋へ様子を見に来てくれたそうです。
「発見が早かったので助かった」と先生は言っていました。

「大丈夫か?」という父の顔がとても懐かしく感じられました。

そして先生が来て、私にいくつかの質問を投げかけました。

先生:「自分の名前は言えるか?」
私: 「はい、そのだゆきお、です」。
先生: 「これは誰?」
私: 「父です」。
先生: 「指を動かしてください」。
私は言われるまま手の指を動かし、その後、いくつかの検査をして、
先生: 「特に異常はないと思われますが、安静が必要です。
神経障害で体の一部が動かなくなっていたり
脳障害で記憶喪失になっていたかもしれないんだから、運が良かったね」。

原因は明らかに「過労」でした。
扁桃腺が腫れあがり、喉から膿が出ていました。
また脱水状態で体のバランスを著しく崩していたそうです。

父: 「兎に角、命が助かって良かった」
私: 「命・・・」。
父: 「お前は死にかけてたんや、順番間違えよってと思ったわ。
もしお前が死んでたら病気のお前を会社に送っていったお父さんの責任や、
お父さんはそう思ってた」。
私: 「・・・」。

意識の無い私に先生も父も母も必死で名前を呼び続けてくれたそうです。
「もし僕が死んでたらどうなってたんやろ」、きっと両親を一生苦しめる、これ以上無い親不孝者になっていたと思います。
その日、色んなことを考えながら私は「生きて」眠りにつきました。

ただ私の体はこの日から爆弾を抱えることになりました。
そしてこの後、1年半以上にもおよぶ「見えない敵」との戦いが始まったのでした。

ここで詳しいことは述べませんが、1999年11月2日に扁桃腺の摘出手術を受け、その後も治療を受けた結果、2000年2月に私の体は完治しました。
それからの私がどうなったかというと「サイボーグ」と言われるぐらいのタフさと別人説が出るぐらいの肉体的変化が起こりました。

実際に両親でさえ「死んだときに別の人と入れ替わったんとちゃうか?」と言うぐらいです。
完治してから今まで病気らしい病気もなく確かに自分でも「ひょっとして別人かな?」と思う時もありますが、そんなはずは無く、私は間違いなく「園田有希生」であり私に命を吹き込み、無くしかけた命を救ってくれた父と母の息子です。


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