社長コラム

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起業から株式会社に至るまでの軌跡

第17話 生きるということ

意識が戻り徐々に体力が回復し始めて2週間ぐらい経った時だったでしょうか、「園田さん、会社からお電話が入っていますよ」と、看護婦さんが私の病室まで伝えに来てくれました。
入院後、会社のスタッフには体調を崩して1ヶ月ほど入院すると連絡を入れ、また取引先等には「決して私が倒れたことを言わないように」と伝えていました。
BWはまだまだこれからの会社で社長が死にかけている状態ではお仕事を頂けなくなってしまうと思ったからです。

看護婦さんの詰め所まで点滴を挿したまま移動し、電話を取りました。

スタッフ: 「社長、**様が先日提案したシステムの見積が通ったので
打合せをしたいと仰っていますがどうしましょう」。
私: 「…、明日の午前中にはお伺いすると伝えて…」
スタッフ: 「大丈夫ですか?」
私: 「大丈夫や」


この案件は私が入院する前に提案していたBW始まって以来の大きなお仕事でした。
私は電話でこの話を聞いた瞬間、自分が今どのような状態にあるかを忘れて「直ぐに準備せなあかん、この仕事は落とせん!」、とっさにそう考えて返答していました。
そして主治医の先生に事情を説明して退院させてもらえるようにお願いしたのですが、なかなか受け付けて貰えませんでした。

先生: 「あかん、あかん、何を考えとるんや」
私: 「この仕事だけは落とせんのや先生!」
先生: 「元気になったらなんぼでも働けるんやから」
私: 「元気になってからでは遅いと思うわ。この仕事は逃したらあかん!
どっちにしろこれ以上寝てたら会社も無くなるんやから」。

先生は思案していましたが、いくつかの約束事を条件に9:00~17:00の間で外出を許してくれました。
そして次の日、入院して以来初めて病院の外に出ました。

病院の正面玄関の自動ドアが開き、病院から一歩、また一歩と足を運んで歩いていると雑音が聞こえ、笑って歩いている人達、真顔で歩いている人、車、そして決して綺麗とは言えない草木が目に飛び込んで来ました。「なんやろ、これ?」

なんだか恥ずかしい話ですが、私には全てが「キラッ、キラッ」と輝いているように見えたのです。
今までは気にも止めていなかったことが、ごく当たり前のことが、何かすごいことのように思えて、今まで見慣れた景色でさえも違って見えたのでした。
会社に向かう途中の電車の中で「死んでたらこの電車も乗れんかったんやな」、そんなことを普通に考えていました。「死んでたら・・・、なんで生きてんねやろか?」。

少々哲学的になってしまうかもしれませんが、みなさんも考えたことがあるのではないでしょうか。
自分がこの歳でこんなことになるとは夢にも思っていませんでした。
今もそうですが「人は死ぬんだ」ということをこの時から常に意識しながら私は生きています。
「ならば生きている今の自分は何をするべきなのか?」。

このコラムを書いている34歳の私は「現在の私」です。
コラムを書き出した2001年4月、32歳の私は「過去の私」です。
32歳の「過去の私」が書いたコラムがあったから「現在の私」もコラムを書いています。
もっと遡れば1996年、27歳の「過去の私」が会社を辞めて起業をしたから「現在の私」はこのコラムを書き、ブレインウェーブの代表取締役として生きています。

当たり前ですが「過去の私」が「現在の私」の人生の全てに影響を与えています。
それならば「現在の私」は「未来の私」のためにしておかなければならないことがあるはずです。
「未来の私」が「現在の私」に感謝できるように。
私が40歳になった時に「40歳の私」は30代の、あるいは今までの「園田有希生」に感謝できるか?「50歳の私は?」。

感謝できず「あの時の、過去の私のせいで今の私が苦しんでいるんだ」ということもあるかもしれません。
しかしそのままではその先の「未来の私」もずっと苦しむことになります。
どこかで自分に感謝できるようになる「私」が必要なのです。

よく解らない話になってしまったのですが、「現在の私」は「未来の私」に感謝してもらえるような生き方をしているかどうかということです。
10年前の私も1分前の私も1秒前の私も「過去の私」です。
この時から私は「過去の私」が踏ん張ってくれたから、彼ががんばってくれたから今の自分があるのだと思うようになりました。

私は自分が死ぬときには生まれた時の「園田有希生」から死ぬ直前の「園田有希生」、「良い事」、「悪い事」をした全員に感謝して死にたいと思います。
そのために「生きている1分1秒を全力で生きるんだ」と。
今の私の目標は「楽しく死ぬこと」。
どんなことがあってもそう思えるように生きたいと思います。
そして世の中に「大きな変化」を起こしその軌跡を残すことはできないかもしれませんが、「小さな変化とその軌跡」、「園田有希生が生きた証」は残したいと思います。

「私がいなくなった時、それが自分の家族や周りの人達や世の中に少しでもいい影響を与えられるならば、こんなすばらしいことはないんだろう」と考えるようになりました。
私の寿命はいつか尽きるでしょう。
でもBWという会社は生き続けることができます。

私が死んだとしても継いでくれる人がいれば、厳しい状況でも生き続け、世の中に小さくても貢献できるような、そんな会社になれるはずです。
「BWに仕事を頼んで良かった」と1人でも多くの方に思って頂けるように、「BWという法人を生んで良かった」と自分自身が思えるように、全力を尽くそうと思うようになりました。

「私が死んでも生き続ける会社を作らないとだめなんだ」。
この時、はじめて様々な会社の経営理念に謳われている「社会に貢献する・・・」やBWが「法人」として生き続ける意味を自分なりに理解できたような気がします。


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