社長コラム

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起業から株式会社に至るまでの軌跡

第19話 未来へ「株式会社ブレインウェーブ」

その日、病院に来た母が「会社はどうだった?」と心配そうに尋ねました。
私が「別に今まで通りなんも変わらん、大丈夫や」と言うと、母は「あんまり無理せんと、神様はあんたの命をとらんと生かしてくれたんや。なんかこの世で、まだせなあかん役目があるんやわ、なるようにしかならへんよ」と言いました。
この言葉を聞いた時、私はなんだか目が醒めたような気がしました。

「生かしてくれた・・・、この世でせなあかんこと・・・、なんやろ?僕は何をしたらいいんやろ?」。母の言葉が私の「心のスイッチ」を押してくれました。
「目の前にある問題を潰すだけでいいんや、やったる、やれるはずや!確かになるようにしかならんわ。それができんかったら死ぬんか、そんなはずないわ、死んでたまるか!」。

そして次の日から9:00~17:00で病院から出勤するようになり、F社との交渉、自分の仕事の整理を始めました。
体力は少々心配でしたが、もちろんT社の仕事はお受けすることにしました。
F社からはBWに出向のような形態でスタッフを送り込んで頂き、BW内で共にT社の開発作業にかかれるように直ぐに対応をして頂きました。
結構、無理を言ったと思いますが、K社長は快く協力してくださいました。
以前、スタッフがいなくなってK社長も同じように苦しんだことがあったそうです。
だからこそ私の状況を誰よりも理解してくれていたのでしょう。

私は出会って本当に少ししか時間が経っていない方々から、感謝してもしきれないぐらいのご恩を頂いて今日まできました。
私が日々がんばることでご恩に報いる、あるいはこれから私が出会う方や既に出会った方に返していかなければならないんだろうと思っています。

こうしてBWの新たな展開が始まりました。
退院してから順調にこのプロジェクトが進んだかと言うと、そうは言い切れません。
作業自体は順調でしたが、私の体は退院後もやはり「見えない敵」に悩まされ、2~3ヶ月に1度、疲労が溜まってくると病院に行って点滴を打ち、ひどい時にはやはり入院した時と同様に喉が化膿し、意識が飛びそうなぐらいの高熱と体の節々の痛みに襲われ、結局病院で数日過ごすということを繰り返しました。
そうしながらもF社の協力の下、第1フェーズの開発を終え、T社にシステムを無事に導入することができました。

今までの契約スタッフから正社員の採用へ踏み切り、自分の持っていた作業もスタッフに少しずつ割り振っていくようになってきました。
結局、このT社の開発のお仕事は約1年という長期のプロジェクトとなり、データ入力業務など様々なお仕事も頂いて、かなりの人数でシステムに携わることになりました。
最終的にはシステム部門のアウトソーシングまでさせて頂くことになったのです。

このプロジェクトを完遂できた最大の要因は、T社のN部長を始め、各スタッフの方々のご協力に他なりません。
ある時、私の体調が悪いことに気付いたN部長に、私の体のこと、このプロジェクトの受注から開発をスタートさせるまでの経緯をお話させて頂いたことがありました。
めちゃくちゃ怒られました・・・。
ただその後も本当に温かいお言葉や、お心遣いを頂いたからこそ、仕事を全うすることができたのだと思います。

私が小手術で歯茎を切った時などは、猿の惑星に特殊メイク無しで出られるほど顔が腫れ上がりましたが、私はそんなことになるとは知らず、手術の当日にN部長との打合せを予定していました。
そして手術の後、痛みとあまりの顔のひどさのためさすがに出勤できず、N部長に電話して打合せをキャンセルさせて貰ったのですが、N部長はこうなるだろうと予想されており、他のスタッフには打合せのことをお伝えではなかったのです。
それは私の立場や色んなことを考慮されてのことでした。
N部長は今では別のグループ会社の社長となられ、私は相変わらず何かとご指導を頂いています。

病院に入る度に抗生剤を打ち、最後にはそれさえも効かなくなると言われ、今まで以上に強烈な抗生剤を投与した時には体が拒絶反応を起こしたこともありました。
ベッドの上で「死ぬんちゃうか・・・」と何度か気弱になったこともありましたが、何とか私の体は持ちこたえてくれました。
今は本当に丈夫な体に生んでくれていた両親に感謝しています。
なかなか分からなかった原因も、体調が崩れる度に診てくれていた先生の紹介で行った総合病院での検査で判明しました。
それにより、なんでと思われるかもしれませんが歯の治療に始まり、1999年11月に扁桃腺の摘出手術を受けるまで、長い時間かけてやっと健康を取り戻せました。
今になって思えば、もっと早くに時間を作って検査すべきでした。

時間は与えられるものではなく、自分で作るものだということを学びました。
大袈裟かもしれませんが日々が本当に命懸けの仕事でした。
ただ苦しみながらがんばったその結果、T社の仕事を始め、その他の仕事も増え、BWの売上は毎月順調に伸びていきました。
またこのT社のお仕事がきっかけとなりT社を含む他のグループ会社のシステムも見させて頂くようになりました。
今ではグループのオーナーにも経営に関することや、その他様々なことで公私共に何かとご指導を頂くようになりました。

そして1999年3月1日、700万円の増資により有限会社ブレインウェーブから株式会社ブレインウェーブとなりました。
起業して2年8ヶ月目のことでした。
街を歩けば色んな会社があり、その1社1社に間違いなく役割があり、また人知れない数々の出来事があり歴史があります。
できたばかりの会社、10年、50年、100年の歴史ある会社。
>私は生きている間にBWと一緒にどこまで歴史を刻めるでしょう。
そして私がいなくなった時にBWはどんな会社として生き続けてくれるのでしょうか。
今のBWのすばらしいスタッフ達と、そしてこれから新たにBWの一員になるだろうスタッフ達と、まずはBWの第1章を未来のBWのために歩みたいと思います。


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